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解脱上人貞慶と海住山寺の十一面観世音菩薩

 京都市堀川通寺之内に興聖寺(現:臨済宗興聖寺派)という寺院があり、そこには「一切経」と総称される5261帖もの経典類が所蔵されている。この一切経の中には、「西遊記」で有名な三蔵法師玄奘の西域旅行中の見聞を記録した『大唐西域記』の日本最古の写本(延暦4年(785)書写:巻第十二のみ)や年紀の入っているものとしては日本最古の摺仏が表紙の裏面に使用されるなど、貴重な写本類が大量に含まれている。まさに「重要文化財」クラスと言っても過言ではない貴重な一切経であるが、この価値はそういった資料性にあるだけではなく、その素性や伝来にも重要な価値がある。それは、この一切経が海住山寺第一世貞慶の遺したものだということである。
 建暦3年(1213)2月3日に亡くなった貞慶の十三回忌の法会は元仁2年(1225)に海住山寺で行なわれ、この十三回忌の際の願文が東大寺に伝わっている。これによれば、この折に、次のようなことが行なわれている。

(1) 1間4面の堂舎の建立と、釈迦如来像の安置と戒律祖師像6躰の図絵
(2) 7間の食堂の建立と、賓頭廬尊者像の安置
(3) 3間の経蔵の建立と、一ケツ手半の文殊菩薩像と一切経5000巻の安置
(4) 本堂に「観音浄刹之藻 」と「霊叡往生之画図」を安置
(5) 萱葺の大門の建立
(6) 塔の階の増加

 このうち、(1) (2) (5)は現存せず、(6)は現在も国宝の五重塔として伝存、(4)は現存しないがその室町時代の写(うつし)が伝存、そして、(3)の経蔵は現在の文殊堂(重要文化財)として伝存し、そこに納められた一切経については、従来、現存しないものと思われてきた。
 ところが、今から10年ほど前の調査によって、この興聖寺に伝わる一切経が貞慶の十三回忌の法会の折に安置された一切経であることが確認された。
 この一切経は、『山城名勝志』の「一切経縁起」によれば、藤原長房(後の海住山寺第二世覚真)の斡旋で朝廷が貞慶に寄進することで海住山寺に伝わったもので、貞慶の死後も大切に伝えられていた。しかし、貞慶の十三回忌の頃には様々な事情で損失した経典が存したらしく、その補充がこの法会に向けて行なわれている。その補充の為の書写(補写)には、貞慶の弟子達だけでなく、例えば、薬師寺は寺としての対応で書写を行ない、また、後鳥羽院上皇の近臣で『源家長日記』の作者としても著名な源家長の名が見出されるなど、貞慶を崇敬する多くの人々の関わっていることが知られる。
 この一切経は、慶長3年10月7日に海住山寺から興聖寺に譲渡されているが、貞慶十三回忌からこの時期までにも補写が行なわれており、この一切経によってのみ知られる中世の海住山寺住僧の名も多く確認できる。
 本一切経は、貞慶所持の経典であり、また、彼の教えを受け継ぐ人々が、如何に後代に伝えていったかを知る上でも非常に貴重なものである。これからの注目が期待される。



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