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笠置寺の梵鐘について

 笠置寺鐘は、口径67.0p、鐸身高85.0p、総高107.8pを測る。龍頭は、二個の獅噛みの上に宝珠を置く形式である。笠形には圏線はなく、龍頭の長軸に平行する方向で、龍頭に近接して2個の一文字形の湯口痕が残る。同様の湯口の初現は、延喜17年(917)の銘文をもつ栄山寺鐘である。龍頭の長軸方向と相対する撞座を結ぶ方向は一致し、これは新式の位置関係である。袈裟襷は全体に均整で、上帯と下帯には紋様はない。草の間の最上部と最下部に1条ずつ、鋳型の重ね目を示す鋳張りが明瞭に残っており、鐸身を三分割する新式の鋳型分割法を採用していることがわかる。乳は茸状を呈し、縦4列、横5列で構成されている。

 鎌倉時代の他鐘とくらべて、草の間が大きく、したがって、撞座の位置が低く、鐸身高に対する撞座高の比率は16.4となり、鎌倉時代鐘の平均値23.0と大きく離れている。しかも、この草の間に銘文がないのが不思議である。撞座は八花をなす中房のまわりに、細かい蘂を配し、複弁八葉の花弁を飾る蓮華紋で、その弁間にも花弁がのぞく、はなやかな形式である。下端の部分は、まっすぐにおさまっており、駒の爪はまったく発達しておらず、六箇所の切り込みがあり、六葉に造形されている。これは、中国宋の鐘の影響を受けたものと考えられている。
 製作にあたった鋳物師名は、銘文にあらわれないが、周防阿弥陀寺の鉄塔に、六葉鐘を東大寺鋳物師を名乗った草部姓の鋳物師集団が作ったという銘文があり、笠置寺鐘も彼らの作品とみられる。六葉鐘の意匠は、東大寺大仏の再鋳を主導した宋人陳和卿から、教えられた可能性がある。草部姓の鋳物師集団は、東大寺大湯屋、備中国東大寺別所、周防国東大寺別所阿弥陀寺などにおいて、青銅の梵鐘のみならず、鋳鉄鋳物の大型の湯釜・湯船を製作したことがわかっている。本鐘の銘文は、駒の爪の下面には、左回りに陰刻されており、その銘文中には「笠置寺般若台 建久七年(1196)八月十五日大和尚南无阿弥陀仏」との記載が認められる。この銘文中の大和尚南无阿弥陀仏とは、ほかならぬ東大寺再建のために勧進をおこなった俊乗坊重源のことであり、草部姓の鋳物師集団は重源に付き従い、各地において鋳物の作事をつとめたとみられる。また、この鐘が作られた建久七年ごろには、解脱房貞慶(1155―1213)が笠置寺に住しており、この梵鐘の銘文によって、俊乗坊重源と解脱上人との間に、深い関わりがあったこともみとめられる。


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