特集コンテンツ一覧

特集コンテンツ一覧

海住山寺トップページへ

『興福寺奏状』についての新説−(その1) | 城福 雅伸(岐阜聖徳学園大学 経済情報学部 教授)

はじめに  定説は、貞慶が『興福寺奏状』をもって、法然やその浄土教団と専修念仏を弾圧し抹殺しようとしたとする。しかし、筆者は新説を発表しこの定説が誤りであることを論証して来た。そこで、その新説の紹介をしたいと思う。
 なお新説の詳細は次の一連の拙稿を参考にしていただきたい。
  • ・「『興福寺奏状』についての一考察」(『仏教学研究』第47号、平成3年)
  • ・「『興福寺奏状』についての一考察(二)−安達俊英氏の批判・疑問に答える−」(『法然上人研究』第4号。平成 7年 )
  • ・「『興福寺奏状』宗教弾圧文書否定説」(『印度学仏教学研究』第44巻第2号。平成8年)
  • ・「内容が改竄された『興福寺奏状』の異本について」(『印度学仏教学研究』第46巻第2号。平成10年3月)
  • ・「日本における仏教信仰の展開構造の再検討−特に平安末期から鎌倉初期における問題を中心として−」(『Review of Economics and Information Studies』Vol.1 No.3-4 1999年)
  • ・「『興福寺奏状』における国家と仏教の論理」(『印度学仏教学研究』第61巻第2号 平成25年3月)
 当時、法然や専修念仏に対する訴訟の窓口になり事件の推移と全貌を知っている貴族に三条長兼がいる。彼が訴訟の内容や事実関係を最もよく知る人間といってよい。その彼の日記が『三長記』である。今回は、この『三長記』から『興福寺奏状』の内容について検討してみよう。
 さて『興福寺奏状』が朝廷に出されるや、朝廷から宣下が下された。その内容は

頃年源空上人都鄙にあまねく念仏をすゝむ。道俗おほく教化におもむく。而今彼門弟の中に。邪執の輩名を専修にかるをもちて。咎を破戒にかへり見ず。是偏に門弟の浅智より起こりて。かへりて源空が本懐にそむく。偏執を禁遏の制に守といふとも。刑罰を誘諭の輩にくはふることなかれ(『浄土宗全書』16・493上)

というものであった。
 つまり、法然(源空)上人が念仏を勧め、僧侶も在家者も布教をしている。門弟の中に邪執(邪なことに執著している)の者がいて、専修念仏だと称しながら、実はそうではなく、破戒を顧みない。しかしこれはこれら門弟の浅智によるもので法然の本懐に背いたものだ。だからこのような偏執を禁遏するが、かといって布教している専修念仏者に刑罰を加えてはならない、というのである。
 要するに、今、専修念仏の名を騙り破戒など問題行為がなされているがそれは法然の門弟の中の邪執の者が行っているもので法然や専修念仏と無関係だというのである。宣下は法然とその専修念仏の布教を認めており、法然に非常に好意的でありむしろ擁護するような内容であったことが知られている。
 興福寺衆徒は宣下に驚き、宣下が法然に好意的であり擁護する内容となったのは長兼が何か工作をしたのではないかとかとまで疑い長兼のもとに抗議に訪れた。その興福寺衆徒の宣下への批判があまりに執拗なので長兼は次のように言い放っている。

私は衆徒の使いに言った。「先の宣下の状は衆徒の『奏状』(『興福寺奏状』)の趣旨に違背していない」と。(「予仰衆徒使曰、先度宣下之状更不背衆徒奏状之趣」)

 つまり、法然を擁護するような先の宣下は『興福寺奏状』と同趣旨だと言っているのである。訴訟の全貌を知り、かつ訴訟の窓口の当事者が言っているのであるから『興福寺奏状』に法然の擁護になる趣旨が記されていることは疑う余地はない。また法然を擁護するような宣下自体が『興福寺奏状』の訴えから引き出されたということも確認される。少なくとも長兼や貴族達は『興福寺奏状』を「法然門下の一部が行っている問題行為の禁遏」を訴えてはいるが、「問題行為と法然とは直接かかわりがない」と主張する訴状であると理解したことは明かである。
 以上からのみでも、すでに『興福寺奏状』は法然やその浄土教団、専修念仏を弾圧、抹殺するための訴状ではないこと、つまり宗教弾圧文書ではないことが論証される。
ではその他の事実を『三長記』から検討してみよう。興福寺衆徒は法然を「仏法怨敵」とまで決めつけ、「法然は諸教を謗らないという起請文を出しているが、まだ謗ることを止めない」(「源空不謗諸教之由書進起請云々、其後於所々猶不止謗<言+山、フォントを欠く>」といい、さらに宣下に法然を上人と称している事をとらえ、宣下に「源空(法然)上人と載せられているが、上人というのは智と徳を兼ねた人を言うのである。ところが法然は僻見の不善者である」(「源空上人由被載之、上人云々兼智徳也。源空者僻見不善者也」)と厳しく批判している。
そこで『興福寺奏状』を見ると第四条には

上人は智者である。だから仏教を謗る意図はないであろう。ただし門弟の中、その実は知り難い。愚人に至っては、その悪は少なくない(「上人者智者也、自定無謗法心歟。但門弟之中其実難知、至愚人者其悪不少」)

とある。
 つまり興福寺衆徒が法然を「上人と言うな」というのに対し、『興福寺奏状』は「上人」と尊称し、衆徒が法然は「智者ではない」というのに対し、『興福寺奏状』は「智者である」と言い、衆徒は法然は「謗法をしている」というのに対し、『興福寺奏状』は「謗法の意図はないであろう」と述べている。
つまり『興福寺奏状』と興福寺衆徒の法然観と事件認識は正反対であることがわかる。
 さらに興福寺衆徒は宣下に、問題行為は「門弟の浅智に起こりて源空が本懐にそむく」(「起門弟之浅智、背源空本懐」)という記述があるがこれは「源空に過怠無きに似る」と非難する。つまり騒動は門下の浅智に起因し法然の本意に背いているなどといえば法然は騒動と無関係、つまり法然には過失が無く責任がないと言っているに等しくおかしいではないかというのである。
 しかし『興福寺奏状』には「上人は智者である。だから必ずや仏教を謗る意図はないであろう。ただし門弟の中、その実は知り難い。愚人に至っては、その悪は少なくない」とあり、法然は仏教を謗る意図はないであろうが、門弟の中にはその意図が怪しい者がいる(法然の意図と異なり謗法を意図している可能性がある)、愚人は法然の意図と異なり仏教を謗る問題行為を行っているというのである。
 これは法然と問題行為を行っている門末とは意図も行為も別であり、法然は問題行為にかかわりがなく、門末の中に問題がある者がいるという認識であり、前掲の宣下の一文と同趣旨である。つまり興福寺衆徒の言を借りれば、『興福寺奏状』は「源空に過怠無きに似る」こと、つまり法然に騒動や問題行為の責任はないことを述べているのである。
 以上からも、『興福寺奏状』は法然に擁護的な宣下と同趣旨であることがわかる。さらに興福寺衆徒と『興福寺奏状』は法然観も事件認識も正反対であったことがわかる。衆徒の宣下への批判はとりもなおさず『興福寺奏状』の内容への批判ともなっているのである。
 もし定説の言うように貞慶が興福寺衆徒の先頭に立ち法然やその浄土教団、専修念仏の弾圧のため『興福寺奏状』を起草したというのならば、これはまず起こりえない珍現象というべきである。
 従って、貞慶が興福寺衆徒の先頭に立ち法然や専修念仏の弾圧のために『興福寺奏状』を朝廷に奉ったという定説もまた成り立たないとがわかる。

小結  以上のことから理解されるように貞慶が『興福寺奏状』をもって法然とその浄土教団、専修念仏を弾圧し抹殺しようとしたという定説は否定される。なぜなら訴訟の窓口になり全容を知っている三条長兼自身が法然を擁護するような宣下と『興福寺奏状』は同趣旨であると明言しているからである。これ以上の証言はないであろう。そしてこの証言を裏付ける内容が『興福寺奏状』には明記されていた。
 従って、『興福寺奏状』は法然やその浄土教団、専修念仏を弾圧、抹殺する内容はなく、法然を擁護する内容さえ織り込まれていたことがわかる。
長兼と衆徒のやりとりから理解されるように、法然を擁護する内容を持つ宣下と『興福寺奏状』とは同趣旨で、『興福寺奏状』は法然を擁護するような宣下自体を引き出す内容を持つものであった。ここに貞慶のたくみな戦術が見え隠れするのである。
※『興福寺奏状』は鎌倉新仏教本を用い、『三長記』は『増補史料大成』より用いた。 



関連情報