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海住山寺所蔵の『解脱上人 大衣』・『慈心上人 七條』について

1.はじめに  今般、海住山寺に伝わる『解脱上人 大衣』・『慈心上人 七條』について、調査する機会が与えられた。本来、袈裟というものは僧侶の標幟となるべき法衣であって現代の中にあっても袈裟の功徳や利益を求めるところが大きい。その中で歴史的遺産としてこの二領の袈裟が継承されてきたその意義は大変価値のあるものである。この袈裟は二領が一つの桐箱に収められ、大切に保管されてきたことが伺える。

2.調書 [ I.箱 ]
材質桐箱
赤茶色
形状印籠蓋造
大きさ縦32.8p 横29.7p 高8.2cm
蓋表銘文解脱上人 大衣 慈心上人 七條
蓋裏銘文なし
箱内底銘文解脱上人 大衣 慈心上人 七條
年代不詳
[ II.大衣 ]
材質
・縁、葉:緑茶 ・あて布:茶
形状 ・環付の四分律衣
・十五条(四長一短、水通しあり、裏あて布あり)
衣量総寸 縦110p 横174p
状態全体的に修繕が加えられた形跡がある
年代不詳
[ III.七條 ]
材質
形状・環付の四分律衣 ・七条(二長一短、水通しあり)
衣量総寸 縦99p 横170p
状態全体的に修繕が加えられた形跡がある
年代不詳

3.所見 『解脱上人 大衣・慈心上人 七條』と銘文に示され桐箱に納められた二領の袈裟(海住山寺蔵)は鎌倉期(1192〜1333)の寺宝と伝承され、今日にいたる。素材を科学的見地から判別した場合にはおおよその見当により制作年代が特定されるであろうが、ここに書誌学的な見地としてうかがうと、まず次の特長があげられる。

II 『解脱上人 大衣』
(1) 素材が麻である
(2) 縁と条葉は同色の緑茶であるのに対し、田相は別色の深緑色である
(3) 割切衣であり、葉は開き、裏地は一つの葉に一つ充てられている
(4) 四長一短の二十五条
(5) 環付。環は一条目に配置されている
(6) 鉤紐は十三条目にあり二つ折したときのちょうど真ん中にあたる

III 『慈心上人 七條』
(1) 素材が麻である
(2) 縁と条葉はすべて同色である
(3) 割切衣であり、葉は開いている
(4) 二長一短の七条
(5) 環付。環は一条目に配置されている
(6) 鉤紐は四条目にあり二つ折したときのちょうど真ん中にあたる

 これらは「四分律衣」の大きな特長をふまえているということが出来る。唐の南山大師道宣律師(596〜667)の法孫である鑑真和上(688〜763)により日本に持ち込まれた「四分律」は東大寺戒壇院を中心とした受戒にもちいられ、それ以来、国家規模的に「四分律」による受戒が行われることとなる。現在でも南都を中心とした「四分律」を根本とするところは多く、“律”といった場合にはこの「四分律」を指すことがほとんどで“律衣”といった場合には「四分律衣」を指す。現在では南都の唐招提寺は律宗としてその中心に位置づけられている。真言宗各派や各法流の中でこの「四分律」を所依としているのは真言律宗と提唱しているなど、西大寺を中心とする菩薩流などである。この菩薩流は興正菩薩叡尊(1201〜1290)により現在に受け継がれているが、これは真言宗の室に入った叡尊が戒律を再興させるべく「四分律」を用いたことに由来する。「解脱上人」貞慶(1155〜1213)は平安の末、南都教学の復興を推し進め、南都を中心とする「四分律」を所依とし法相を講じていたことは名高く皇室や後鳥羽上皇からの援助をうけるほどであったことが一般的に知られている。しかし、「四分律衣」の存在は海住山寺を中心するこの界隈が「解脱上人」に縁(ゆかり)の地であるというだけでなく、「四分律」によった南都の戒律支配がおよんだことをこの「四分律衣」でもっても示すことができるのである。

4.おわりに  江戸期に僧侶の法衣の乱れから袈裟に対する規律を糾す動きがあったがこれは戒律復興という形でその勢力を二分する。弘法大師により「有部律」がご将来されるまで国家規模で「四分律」受戒が行われていたが、弘法大師の将来された三学録の中には「有部律」のものしか見当たらないために後に真言宗各派は「有部律」を所依とするようになってしまう。 今回の管見にては書誌的内容にて袈裟の年代を特定することは難しい。科学的に根拠のもとにてその解明がなされることは望ましいが歴史的な息吹を感じさせるこの『解脱上人 大衣』、『慈心上人 七條』は後世に伝承すべき大変貴重な寺宝であるいえよう。


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