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海住山寺所蔵の『解脱上人 大衣』・『慈心上人 七條』について

1.はじめに 袈裟というものは僧侶の標幟となるべき法衣であり、現代でも袈裟の功徳や利益を求めるところが大きい。本来、法衣とは仏制によって決められたものであり、すでに古代インドでは僧侶の法衣といえば「三衣」と呼ばれるものであった。「三衣」は僧伽梨(大衣)、鬱多羅僧(七条)、安陀会(五条)でこれらを総称して袈裟とよんでいるが、インドではこれらを常に被着するのが戒を持つ僧侶において如律であった。また、鉢を持ち、乞食することで食を得ていた。これは釈尊在世のころ、インドの気候や社会情勢から三枚の袈裟だけで修行生活に足りるとされたことによる。インド、中国、日本と三国にわたってもたらされた法衣は時代や風土とともに変化し、現在では僧侶の法衣は直綴や素絹などの上に袈裟を掛けて一つの法衣と見なされている。
今般、海住山寺に伝わる『解脱上人 大衣』・『慈心上人 七條』について、調査する機会が与えられた。歴史的遺産としてこの二領の袈裟が継承されてきたその意義は大変価値のあるものである。戒律を重視し、その礎を築こうとした解脱房貞慶上人、そして、その意思を引き継ぎ、後世へと継承した慈心房覚真上人の遺品は当時を彷彿とさせる。袈裟が幾多の変遷を遂げ、現在に至る中でその本来の意義と戒律に裏付けされた源流を探るとともにこの海住山寺蔵『解脱上人 大衣』・『慈心上人 七條』二領を見性したい。


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