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海住山寺所蔵の『解脱上人 大衣』・『慈心上人 七條』について

3.有部律衣と四分律衣 中国における律学はおもに二系統がある。
鳩摩羅十(350〜409頃)の説一切有部律などが義浄によって訳出され、自身のナーランダー寺(玄奘三蔵、金剛智三蔵ゆかりの寺院)においての修行の様子が『南海寄帰内法伝』に記されている。先にも述べたがインドでは閉葉が主流であり、これによって本来の有部律衣の姿がうかがえる。
それに対して慧光(468〜537)による四分律は南山大師道宣禅師(596〜667)によって伝えられる。中国禅宗は五家七宗(イ仰宗、臨済宗、曹洞宗、雲門宗、法眼宗、臨済宗黄竜派、臨済宗楊岐派)として全土に広がりを見せるのである。
日本では南山大師道宣の法孫にあたる鑑真和上が渡来することにより四分律(南山律)が日本に伝来する(754)。その後、国家的規模として東大寺戒壇院、唐招提寺において四分律(南山律)の受戒が行われていくのである。現在でも南都を中心とした「四分律」を根本とするところは多く、"律"といった場合にはこの「四分律」を指すことがほとんどで"律衣"といった場合には「四分律衣」を指す。現在では南都の唐招提寺は律宗としてその中心に位置づけられている。
留学僧として唐にわたった弘法大師により将来されたものは三学録の中はほとんどが有部によるものである。真言宗の法は当然のことながら有部律によるべしとの解釈が諸先徳によってなされている。これにより真言宗の受戒は有部律のよって行われているが、一部四分律(南山律)により、律宗と称しているところもある。真言宗各派や各法流の中でこの「四分律」を所依としているのは真言律宗と提唱しているなど、西大寺を中心とする菩薩流などである。この菩薩流は興正菩薩叡尊(1201〜1290)により現在に受け継がれているが、これは真言宗の室に入った叡尊が戒律を再興させるべく「四分律」を用いたことに由来する。
有部律衣の特徴としてあげられるのは次の通りである。

○閉葉
○三ヒダ(三折)の部分に鉤紐がある。
○環なし
四分律衣の特徴としては
○開葉(縫い方の別あり)
○右角に前鉤、中条に後鉤
○環あり


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