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海住山寺五重塔のプロポーション|濱島正士(公益財団法人 文化財建造物保存技術協会理事長)

 五重塔を眺めたとき、誰もが最初に気付くのはそのプロポーションでしょう。五重に積み上げられた塔身の上に、仏塔であることを示す相輪がそびえ立つ姿は、ほかの建築では見ることがないだけに、塔身の高さと相輪の長さの対比が気になります。塔身は上重へいくに従って横幅も高さも漸次減少(逓減)していて、その比率や全体の縦・横の比例が姿形に大きく影響します。
  そこで、海住山寺五重塔のこうした比例について、ほかの五重塔とも比較しながらみていきましょう。なお、本塔には初重に裳階がありますが、これは先述したように建立後少し経って付設されたものであり、裳階のある塔はごく僅かしかないので、これは除いてみていくことにします。
本塔では、総高さ(初重縁上〜相輪天)のうち塔身高さ(初重縁上〜五重屋根上)が71%を占め、残りの29%が相輪長さ(露盤下〜宝珠天)となっています。江戸時代以前の五重塔の遺例についてこの数値をみると、塔身高さは66.5〜78%となっていて、遺例数が少ないため余り確かとはいえませんが70%前後が平均的な数値でしょう。ただし、近世の塔には数値の高いものが多いようです。最小値の66.5%は醍醐寺五重塔(951年)で、総高さの2/3が塔身部、1/3が相輪となっていて、相輪が長くて横幅もあり、堂々とした姿形を示しています。
一方、最大値の78%は本門寺五重塔(東京都、1607年)と備中国分寺五重塔(岡山県、1844年)で、塔身部が高くて相輪が短く、やや頼りない姿形ともとれます。本塔は平均的な数値に近いのですが、建立年代からするとやや塔身部が長めといえます。これは規模が小さいために、塔身部が少し高められているからです。
  つぎに、柱間寸法(平面1辺の長さ)の逓減をみると、本塔では五重が初重の73.7%になっています。遺例全体では50〜73.7%ですから、本塔が最大値、すなわち逓減が最も少ないことになります。これも規模が小さいために、逓減を多くすると五重目が小さくなりすぎて具合がわるいからと思われます。柱間寸法が少なくなりすぎると、三間に割って各柱上に組物を置いたとき組物間が狭くなりすぎるし、大きな軒を持ち出すのに柱から内部が混みすぎることにもなります。最小値の50%、すなわち五重が初重の丁度半分になっているのは法隆寺の五重塔で、五重のみ柱間を2間に割っているのは上記の理由によるものです。なお、平均的な数値は60〜70%程度です。
  横方向については、柱から組物が出て丸桁を支持し、丸桁から垂木が出て軒を構成し屋根を支持しています。先述したように、本塔では組物が二手先で通常より一手少なく、軒は通常の二軒になっています。組物の出は各重同じで、垂木の出は上重へ行くほど少し小さくなっています。柱間に軒の出(組物の出+垂木の出)を加えた軒全体の長さはもちろん上重へ行くほど小さくなりますが、柱間寸法ほどの逓減ではなく、五重の軒長さは初重の81.3%となっています。
  さらに、横方向では各重に設けられた縁・高欄の長さが姿形に大きく影響します。縁・高欄は柱間より外にあり、下重の屋根がそこで止まって見えるからです。
たとえば、瑠璃光寺五重塔(山口、1442年)は初重に縁、二重に縁・高欄があるだけで三重以上にはないため、三重以上では下重の屋根が柱際までのびて軸部(柱の部分)がそのまま現われ、塔身が細く締って見えます。また、法観寺五重塔(京都、1440年)は五重だけ縁・高欄があり、四重以下は同じことがいえます。本塔では、初重に裳階があって初重の縁がそのまま延びて裳階の床となり、二重以上には各重に縁・高欄が付いています。初重の裳階は初重を支えるような格好で安定感を増していますが、二重以上は縁・高欄が横に長く、塔身が広がって見えてやや姿を害しているともいえます。この縁・高欄は昭和修理の際に発見された旧財によって復原したものですが、二重の材だけで三重以上の材が発見されなかったため、三重以上も柱から外の出は二重と同じにしました。三重以上の縁・高欄の出を二重より少しずつ小さくして全体の長さを短くすれば、少し見た目が違ったかもしれません。
  つぎに、塔身部の縦・横の比例を見ますと、本塔は塔身高さが初重柱間寸法の4.43倍になっています。遺例全体でみると、3.57〜5.2倍で4〜5倍が多いようですから、本塔は平均的な数値とみられます。しかし、この数値には時代的な特徴があって、時代が下ると大きくなることがはっきりしています。すなわち、時代が下ると塔身部が細長くなるもので、建立年代を考慮すると本塔は時代の割には細長いといえます。これも規模が小さい場合は少し高めにしないと模型のようになってしまうからで、塔以外の建築にもあてはまります。規模が最も小さい室生寺五重塔(8世紀末)は、総高さに占める塔身高さが70%、五重の柱間寸法が初重の59.4%で古代の塔として大きく変わるところはありませんが、塔身高さは初重柱間の4.57倍あって本塔より細長く、小規模な塔が細長いことをよく示しています。なお、最大値の5.2倍は日光東照宮五重塔で、近世の塔でもほかは5倍未満であるのに比べてとくに細長くなっています。塔身部がこのように細長いと、見た目は不安定に見えますが、構造上安定性に欠けるわけではありません。むしろ、近世になって細長い塔を造るのに適した構造手法が発達したから、ということができます。
  ところで、本塔の初重柱間寸法は2.739mで、尺に直すと9.039尺になります。建物を建てる際には10尺とか15尺とか、尺の整数値で柱間寸法を決めることが多かったようです。したがって、本塔も初重の柱間寸法を9尺としたものと思われますが、古代・中世の尺度は僅かながら現代の尺度と違っていました。9.039尺が建立時の尺度で9尺であったとみると、当時の1尺は現代の1.004尺に相当することになります。あるいは、大工が使っていた物指も、人によって僅かな違いがあったのかもしれません。いずれにしても、本塔を建てた大工は初重柱間を9尺とした五重塔を計画し、それを基にして何らかの基準によって二重以上の柱間寸法を割り出し、さらに高さ関係も決めていったのでしょう。


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